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どうも、京都府向日市リズム鍼灸院 の湯村です。
今回は、僕が治療家という仕事を選んだ理由について書いています。
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僕が治療家を選んだ理由

僕がこの仕事を選び、今も続けている原点には、祖母の存在があります。
子どもの頃、両親が共働きだった僕は、長期休みになると父方の祖父母の家で過ごしていました。祖母は畑仕事をし、漬物を漬け、ミシンを踏む。典型的な田舎のおばあちゃんでした。
春は山菜、夏は井戸で冷やしたスイカ、秋は干し柿、冬はよもぎ餅。四季の思い出の中心には、いつも祖母がいました。
そんな祖母は、長年の畑仕事で腰を痛めていました。小学生だった僕は、お小遣い欲しさにマッサージをしていましたが、「気持ちいいわぁ」と喜ぶ祖母の顔を見ることが、いつしか何より嬉しくなっていました。
進路を決めた日
高校1年生の進路相談の日。行きたい大学にも特になく、かといってすぐ働く覚悟もない。そんな中でふと思い出したのが、祖母の背中をさすっていた時間でした。
「自分の手で人を楽にできる仕事があるなら、それを仕事にしたい」
その場で「鍼灸師になりたい」と伝えました。正直、きっかけは勢いでした。でも振り返れば、あの選択がすべての始まりでした。
治療家への道

技術を磨く日々
鍼灸師になるため大学へ行き、実家の広島から京都へ出ていってから祖母に会う機会も以前より少なくなりました。
それでも学生時代は年に数回帰って必ず治療をしていました。子どものマッサージじゃなく今度はちゃんと勉強した治療で。
国家試験前は追い込まれ、毎日泣きながら勉強しました。卒業後は厳しい労働環境の治療院に就職。長時間労働、薄給、休みもほとんどない日々でした。
今思えば決して良い環境とは言えません。それでも、あの時間が技術と覚悟の土台になっています。
働き始めてからも、帰省のたびに祖母の身体を診ていました。少しずつ任せてもらえる範囲が増え、「かかりつけ」のような存在になれていたことが誇りでした。
僕がこれから目指す道

忘れられない出来事
就職してから4年がたったある日、普段あまり連絡してこない父親から電話がありました。
「ばあちゃんな、ガンでもう長くないんよ」
ドラマみたいな突然の告白に、僕はめまいで倒れそうでした。
胃ガンが見つかったこと、転移して手の施しようがないこと、余命があと半年しかないこと。
こんなに長い間カラダを診てきたのに、なんにも気づいてあげられなかった。それが悔しくて悲しくてボロボロと涙が止まりませんでした。
入院しているばあちゃんに会いに行くと、フサフサだった髪の毛は抗がん剤の影響で抜け落ち、辛そうにベッドの上に座っていました。
小さく小さくなって。
高名な治療家の中にはガンに効果的な治療を行う先生もいます。でも僕にそんな技術はなく、辛そうにしているばあちゃんの背中をさすってあげることしかできませんでした。
「気持ちいいわぁ」と言ってくれるばあちゃんの言葉が本当に切なくて、申し訳なくて。
病気のことを聞いてちょうど半年後にばあちゃんは亡くなりました。
病気にさせない治療家に
祖母が亡くなって10年以上がたちました。
私は、がんを治せる治療家ではありません。けれど、病気になる前の身体の変化には向き合えます。
疲労の蓄積
姿勢の崩れ
生活習慣の乱れ
ストレスの慢性化
大きな病気の多くは、日常の積み重ねの延長線上にあります。
だから僕は、
「治す」だけでなく、
「病気にさせない」ことを目指す治療家でありたい。
祖母に十分してあげられなかったことを、今、目の前の方に丁寧に届けていく。それが僕の原点であり、今も変わらない軸です。
リズム鍼灸院の想い
身体の悩みを持っている人はたくさんいますが、出会える人数には限りがあります。だからこそ、来てくださった方とのご縁は本当にありがたい。
リズム鍼灸院は、そんな一つひとつの出会いを大切にしています。
身体に不安がある方と、長く寄り添える関係を築いていきたいと考えています。



