治療家という道を選んだ理由

今回は僕が治療家という仕事を選んだ理由について書いてみたいと思います。

僕が治療家を選んだ理由

亡くなった祖母

僕が治療家を選んで今も続けているのは、亡くなった祖母の存在が大きいです。

祖母との思い出

子どもの頃、両親が自営業で共働きだったため、春休みや夏休みなると僕は車で30分の父方の祖父母の家によく預けられていました。

祖母は典型的な田舎のおばあちゃんで、いつも作業着で田んぼや畑へ行ったり、漬物小屋で漬物をつけていたり、ミシン仕事なんかをしていました。

僕が祖母のウチへ行くと、春は山菜採り、夏は井戸で冷やしたスイカを食べ、秋は干し柿、冬はヨモギ餅を作ってくれました。僕は孫の中で一番かわいがってもらっていたと思います。

そんな祖母は毎日の畑仕事のせいで若い頃から腰を痛めており、僕はそんな祖母によくマッサージをしてあげました。

アルバイト小学生

小学校1、2年の頃だったと思います。

マッサージをするとお小遣いがもらえるので僕も必死です。動機は不純でしたが祖母はすごく喜んでくれて、そんな祖母を見るのが僕も嬉しくて。

ほかにも祖母は白髪を気にしていたので、僕が1本10円で抜いてあげるアルバイトもありました。

祖母の髪の毛フサフサだったのでたくさん抜きました。

これで毎回2,000円ぐらい稼いでいたんですが、これはマッサージほど喜んでくれませんでした。もしこれメチャメチャ喜んでもらってたら僕の職業「白髪抜き師」だったかもしれません。

高校の進路相談

高校1年生の3学期、その日は先生と母親の3人で進路相談を行うことになっていました。2年生から進路に合わせたクラス替えをするためです。

友達は当たり前のように大学への進学を希望していましたが、僕は高校入学から全く勉強せず遊んでいたため、この時点でまともな大学へは行けそうもありません。かといって勉強する気はありませんでしたし、すぐに働くのもイヤ。なので何とか進路を絞り出そうと必死に考えました。

そのとき頭に浮かんだのが祖母にマッサージをして喜んでもらった記憶です。

「専門職なら大学に行かなくてもなれそうだし、ばあちゃんにも喜んでもらえそうだしいいんじゃね?」

「これだ!」と思った僕は先生と母親の前で「鍼灸師になりたいです」と言いました。

鍼灸師という職業は当時少年マガジンに連載していた「Jドリーム」というマンガで知りました。

マッサージよりも針を使って治療する方がカッコよくないですか?そんな理由で決めました。

重要な決断ほど勢いが大事です。

先生と母親は「えっ?なにそれ?」みたいな反応でしたが。

治療家への道

多忙な生活

涙の大学3回生

結局、鍼灸師になるため大学へ行くことになるんですが、大学進学のため実家の広島から京都へ出ていってから祖母に会う機会も以前より少なくなりました。

それでも学生時代は年に数回帰って必ず治療をしていました。子供のマッサージじゃなく今度はちゃんと勉強した治療で。

それから鍼灸師の国家試験にも無事合格したんですが、学生時代の僕も勉強が好きじゃなかったのでホント大変でした。

大学3年生の2月に国家試験を受けるんですが、年明けに大学に行くとみんな国家試験の過去問をやり込んで問題を出し合っていました。

その会話の内容がまったく理解できなくて慌てて勉強を始めましたが、これまでの不摂生がたたってインフルエンザになったり、付き合っていた彼女にフラれたりと肉体も精神もマジで崩壊5秒前でした。

結局試験2週間前から睡眠時間を3時間にして詰込みまくった結果、何とか合格することができました。

この2週間毎日泣きながら問題解いてました。2度と戻りたくないです。

ブラック治療院への就職

卒業後は実家には帰らず、大学の先輩が働いていた向日市にある鍼灸整骨院に就職しました。

当時の治療院業界は丁稚奉公のような世界。

当時のブラック治療院業界
  • 昼休憩なしの12時間労働
  • 1人で1日30人治療
  • 終わってからは深夜まで治療の練習や勉強会
  • 週休1日
  • 休みの日にミーティング
  • 社会保障、ボーナスなし

当時の給料を時給換算すると500円ぐらいの薄給です。

いま見ると相当のブラック企業ですが、これが業界の当たり前でしたしボロボロになりながらも毎日が充実していました。

ムチャクチャな労働環境でしたが、それが今の技術と精神の礎になっていることは間違いないです。

最後はオーナーが飛んでエライ目に合いましたが、それでも感謝しかありません。

就職してからも年に2回、盆と正月だけは実家に戻り祖母の治療は続けていました。

会うたびに少しずつ僕の治療技術も上がっていましたから、祖母とのスキンシップのようだった治療も本気でカラダを任せてもらえるかかりつけの先生のようになっていきました。

もっと腕を磨いてもっと楽にしてあげるから。

そんな想いでした。

僕がこれから目指す道

これから目指す未来

祖母の死

就職してから4年がたったある日、普段あまり連絡してこない父親から電話がありました。

「ばあちゃんな、ガンでもう長くないんよ」

ドラマみたいな突然の告白に僕はめまいで倒れそうでした。

胃ガンが見つかったこと、転移して手の施しようがないこと、余命があと半年しかないこと。

こんなに長い間カラダを診てきたのに、なんにも気づいてあげられなった。それが悔しくて悲しくてボロボロと涙が止まりませんでした。

しばらくして入院しているばあちゃんに会いに行くと、フサフサだった髪の毛は抗がん剤の影響で抜け落ち、辛そうにベッドの上に座っていました。

小さく小さくなって。

高名な治療家の中にはガンに効果的な治療を行う先生もいます。でも僕にそんな技術はなくて辛そうにしているばあちゃんの背中をさすってあげることしかできませんでした。

「気持ちいいわぁ」と言ってくれるばあちゃんの言葉が本当に切なくて、申し訳なくて。

病気のことを聞いてちょうど半年後にばあちゃんは亡くなりました。

病気にさせない治療家に

祖母が亡くなって10年以上がたちました。

あれからたくさんの患者さんと出会い、たくさんの症状を診てきました。僕はまだガンを治すことができる治療家になれてはいません。

ガンをはじめ治りにくい病気というものは確かにあります。

ただその治りにくい病気もそもそもの原因は、疲れやストレスをためすぎたり、食生活や姿勢の乱れといった日々の生活習慣に大きな影響を受けています。

僕はガンを治せる治療家よりも、患者さんとよく会話をしながら生活習慣や姿勢のアドバイスができる治療家になりたいと思っています。

ガンを治す治療家ではなく、病気にさせない治療家に。

祖母にキチンとやってあげられなかったことを、リズム鍼灸院へ来ていただいた方にキッチリやっていきたい。

でもカラダの悩みを持っている人はたくさんいますが、僕が診ることのできる数なんてほんのわずかです。

だから出会えた患者さんとの縁に感謝を込めて、リズム鍼灸院のコンセプトを「ご縁を大切に」としています。

ご縁がありご来院いただいた方に最高の施術ができるように。

カラダに不安を抱えている方はご連絡ください。

お会いできるのを楽しみにしています。

以上、僕が治療家を選んで今も続けている理由でした。

ではでは。

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